【先人たちの底力】三淵嘉子(法律家)の経歴が凄い!女性初の弁護士で裁判官?地位確率の知恵とは

2019年3月26日(火)22時00分~

先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)では

「道を開いた女性たち 法律家 三淵嘉子」

として、
法律家の三淵 嘉子(みぶち よしこ)さん
紹介されます。

私自身も初めて知ったのですが
昔の法曹界は女性弁護士が居なかったそう!

今ではリーガルドラマもたくさんあって
しかも女性が活躍しているドラマが
意外と多いですよね!?

そんな男性社会だった法曹界で
みごと女性の地位を確立し活躍した
三淵嘉子さんとは一体どんな
女性だったのでしょうか?

女性の活躍が当たり前の今日、
昔はどのように頑張って来たのでしょうか?
注目ですね!

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三淵嘉子(法律家)の経歴が凄い!wiki風プロフ

名前:三淵 嘉子(みぶち よしこ)
旧姓:武藤 嘉子

生年月日:1914年1月30日(大正3年)
没年齢:70歳(1984年年5月28日死去)

出生地:シンガポール
出身地:福島県
出身校:明治大学法科(昭和13年卒)

日本初の女性弁護士の一人であり
初の女性判事及び家庭裁判所長。

三淵 嘉子(みぶち よしこ)さんは
台湾銀行に勤めていた父(武藤氏)と
母の間に生まれました。
生まれた国はシンガポール!
外国生まれなんカッコイイ!

昭和13年、
高等試験司法科試験にみごと合格!
明治大学の同級生の田中正子さん、
久米愛さんとともに
日本で初めて女性弁護士となります。

このとき、マスコミは

「法廷に美しき異彩“女性の友”紅3点」

と大々的に報道したそうですよ!
それほど、すごい改革だったんですね!

そして最高裁家庭局付、
東京地裁判事補などを経て、

1952年12月、
名古屋地方裁判所で女性裁判官として
初の判事に就任します。

1972年には新潟家庭裁判所で女性初の所長、
のちに浦和、横浜家裁の各所長をつとめます。

54年退官後は、また弁護士に戻り、
労働省男女平等問題専門家会議座長も
務めるなど偉業を成し遂げられました。

現在のお名前の三淵(みぶち)の姓は
初代最高裁長官だった三淵忠彦の子供
裁判官・三淵乾太郎氏と再婚したためです。

初代最高裁判官が義理の父親なんて
なんだかすごいご家庭ですね!

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かつて女性は弁護士になれなかった?法曹界も男社会だった?

昔の時代は、裁判官は男性の職業という
流れがあったそうです。

三淵嘉子さんは、弁護士として活動しながら
やがて裁判官を目指して、裁判官採用願いを
司法省に提出しますが、

司法官試補採用告示に
「日本帝国男子に限る」という文言を見つけ

「同じ司法科試験に合格しながら、なぜ女性が除外されるのかという怒りが
猛然と湧き上がってきた。私にとっては、その時の怒りが男女差別に対する怒りの開眼であったろう。」

と述べています。
その後、間もなく新憲法が施行されたのですが
結局、裁判官として採用はされず
司法省民事部等に勤務することになったと言います。

男女平等が宣言された以上、
女性を裁判官に採用しないはずはない!
と考えて採用願いを提出したのに
残念な結果なってしまいました。

そして1947年5月、
男女平等を謳った新憲法が施行され
1949年、ようやく初めて女性の裁判官として
就任できました。

私も昔、サラリーマン時代は
年功序列で男性しか役職に就くことが
できない職場にいました。
理由は、同じように特別なことはなく
男性に限る、というものでした。

今は、女性も男性と同じように
活躍できる職場が増えてきましたが
どの職場もそうなってほしいですね。

三淵嘉子が女性初の裁判長で弁護士になれた知恵とは?

番組では、三淵嘉子さんが
女性初の裁判長で弁護士になれた知恵を
民放アナウンサーから弁護士に転身した
菊間千乃さんが解説してくれます。

いったいどんな知恵だったのでしょう!?

のちに、日本女性法律家協会の会長である
曽田多賀先生は、

「当然その行う仕事の内容・質によって判断されるべきであって、
地位によって判断されるべきでないことは言うまでもない」

と語っています。
そんな風に考えてくれる会社方針が
行き渡ってくれるといいなと、私も思います。

三淵嘉子さんの知恵については
番組放送後、追記する予定です!
三淵嘉子さんの底力、楽しみですね!!

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